蒸留の基本と島香房の少量生産で起きる微細な変化、現場での五感の観察について。蒸留が「香りという記憶」をどう閉じ込めるのかを、蒸留当日の空気や手順とともに綴ります。

朝早く、工房の窓から差し込む光が蒸留器の金属面に反射するとき、「今日はどんな香りかな?」と胸を躍らせます。蒸留とは、ただ精油を取り出す作業ではありません。植物が持つ一瞬の表情を見逃さず、瓶に閉じ込めるための“時間の仕事”です。今回は、島香房の蒸留の舞台裏を、できるだけわかりやすくご紹介します。
■ 蒸留の準備:素材を知るところから始まる
蒸留は素材次第で結果が大きく変わります。収穫したばかりの果実、秋と冬の香りの感じ方、朝露が残る花、日中に採った葉——それぞれが微妙に香りを変えます。だから私たちはまず、素材をじっくり観察します。色、手触り、香りの強さ。ほんの少し手で揉んでみるだけでも、その日の香りの「表情」が分かることがあります。
蒸留前の基本的な準備は以下の通りです。
- 素材の選別:柑橘は食用に出荷できない規格外品を無駄なく使います。
- 抽出部位の加工:柑橘精油は、果皮の油胞という表面の粒状の中に格納されています。油胞ごとしっかりピーラーで丁寧に剥きます。剥いた後の実はジュースやワインにと余すことなく活用します。
- 冷凍管理:収穫したばかりの花や果皮を“凍らせる”——意外に思われるかもしれませんが、これが豊かな香りを引き出す大切な工程です。凍らせることで細胞膜や油胞の構造が壊れやすくなります。壊れた油胞から精油成分が外に出やすくなり、蒸留や抽出で取り出せる香り成分の効率が上がるのです。


■ 蒸留の基本:蒸気が運ぶ“香りの粒”
島香房では**水蒸気蒸留法**で抽出しています。蒸留器に水を張り、加熱して発生する蒸気が植物を通り抜け、その蒸気が冷やされて液体に戻るときに精油が分離します。見た目は機械的ですが、温度や蒸気の勢い、投入量の加減で香りの取り方が変わります。
ポイントは「温度管理」と「抽出のタイミング」。温度が低すぎると揮発しにくい成分が残り、高すぎると香りの繊細な成分が壊れてしまうことがあります。

■ 五感で見る蒸留の瞬間
蒸留中、私たちはメーターと温度に加えて、自分の五感を頼りにしています。具体的には:
- 匂い:抽出される精油の香りを鼻で確かめ、香りの状態をチェックします。
- 音:蒸気の湧き方やポコポコとした音のリズムで蒸気圧を読みます。
- 目:冷却器から出る液滴の具合(透明度や粘り)を観察します。
- 手触り:蒸留器や配管の熱のバランス確認。
- 時間感覚:毎回変わる“良い抜け”の時間を経験で覚えます。
こうして五感を総動員して、最良の“取りどき”を決めるのです。
そして感覚をデータベースとして蓄積し、客観的な指標にしていきます。

■ 少量生産でしか得られない香りの表情
プラントのような大規模システムで大量生産に一気に蒸留する方法もありますが、島香房は少量ずつ丁寧に蒸留することを選んでいます。理由は単純で、小さなロットだと素材一つひとつの個性に寄り添えるからです。ある年はネロリの甘さが強く出る年、別の年は爽やかさが前に出る年——そんな細かな差異を見逃さずに調整できるのが小ロットの強みです。
また少量なら、柑橘の収穫時期を分けて蒸留することも。例えば10月の青い時期と2月の成熟した黄色い時期では同じ品種でも香りや香気成分が変わってきます。それぞれの良いところを抽出し、製品として楽しんでいただけます。

■ 蒸留の副産物も大切に
蒸留で精油と同時に抽出される芳香蒸留水(フローラルウォーター)も、私たちにとってはとても価値のある副産物です。フローラルウォーターは化粧水やハンドウォシュの原料、リネンウォーターに、無駄なく活用しています。これも「素材を最後まで生かす」島香房のものづくりの一部です。

■ 家庭でも香りの違いを楽しむコツ
読者の皆さまが家で香りを試すときの簡単なコツをひとつ。精油を一滴ハンカチやティッシュに落として時間ごとに香りを嗅いでみてください。最初の香り(トップノート)、数分後の香り(ミドルノート)、さらに時間が経ったときの落ち着いた香り(ベースノート)が分かるはずです。柑橘はトップノートなので最初に印象に残る香りが来ます。ミドルノートのラベンダーやベースノートのベチバーを一緒に落として使うとより柑橘らしさが際立ち、柑橘や植物への愛着が生まれるでしょう。

■ 蒸留で感じてること
11月から島香房ファームでも柑橘の収穫が始まりました。甘夏からはじまりイヨカン、ベルガモットと蒸留が続いています。収穫~抽出までそれぞれの香りの違いが楽しめてより深く植物と接することができるとても豊かな季節です。
“今年だけの香り”はその年のレポートとして残し、化粧品の配合や商品開発に活かしていきます。


